私がカイロプラクティックという道にすすみ、立川で開院するにいたった理由を少しご紹介させていただきます。
『ケガの評価ができて、テーピングも巻けてかっこいい!』
『運動をする人のサポートがしたい!』
学生時代はバスケ部やハンドボール部で過ごしました。ミニバス時代のコーチ兼トレーナーの”ケガの評価ができて、テーピングも巻ける”という姿にとても興味をひかれました。
そんな姿にスポーツ選手や運動が好きな人をサポートする仕事ができたらいいなと思ったのが全てのはじまり。
そんな思いから大学へはアスレティックトレーナーを目指すために進学しました。
『選手に対してもっとアクティブにできることはないのか?』
アスレティックトレーナーを学ぶ学生としてプロバスケットボールチームでのインターンや体育会のレスリング部で活動する中、薬や安静以外に何か積極的に選手の改善に向けてもっとできることはないのか?
そんなことを考えていた時に出会ったのがカイロプラクティックでした。
痛みに対して即効性があり、早く治すことができる。それくらいの知識しか当時はありませんでしたが、その頃卒業後の進路で悩んでいた自分は、カイロプラクティックをスポーツの現場に取り入れることはとても有効なのではないかと考えました。
もともと卒業後の留学願望は強く、同期の友人たちが、鍼灸師・理学療法士・スポーツドクター・アスレティックトレーナー留学などの道に進むことを聞いていたので、自分にしかできないこと、同期の友人たちと将来スポーツのサポートシステムを担っていくと考えた時、みんなとは重ならないようにカイロプラクティックを選んだことを覚えています。
ちょうどその頃、進路に関して相談した恩師からアメリカではカイロプラクターは政府公認のすごい資格なんだということを聞いていたので私の心は固まりました。
両親がありがたいことに賛同してくれたこともあり、2009年に渡米しました。
『勉強が大変!言葉もわからない!』
アメリカには合計で約6年いることになるのですが、留学時代はまちがいなく自分の人生の中で一番勉強した期間でした。英語での初めての授業が心理学という洗礼を受け、かなり打ちのめされたのを覚えています笑
カイロプラクティックプログラム(DCプログラム)に入ってからは1年4学期制で1年間に約100単位取得するようなプログラム、卒業に必要な単位は約330単位ほど、日本の4年生大学にいた時に卒業に必要だった単位が120くらいだったのでそれと比べるとなかなかの数字ということがおわかりになるかと思います。
朝7時から夜7時まで授業の日もあり、ほぼ毎週なんらかの試験やレポート、学生インターンになってからは書類の作成や患者さん探しも加わり、とても忙しいプログラムでした。
幸運にも素晴らしいクラスメイト達に恵まれ、思いっきりサポートしてもらいながらなんとか乗り切りました。学校の授業だけでなく、テクニックなどのセミナーの為にアメリカ本土を友人たちと車で走り回ったのはいい思い出です。
『スポーツ選手をみるにはとても良い環境』
上記のDCプログラムだけでも大変でしたが、私はスポーツ科学に関する修士のプログラムも一緒に受けていました。
通っていたライフ大学は総合大学の為、部活動も充実しておりスポーツ選手をみるにはとても良い環境でした。
修士のプログラムの一環として学内のアスレティックトレーニングルームでアスレティックトレーナー達と連携し選手にケアを提供する機会も得ることができました。
近所のDivision Iのスポーツが盛んな大学でのインターンやスポーツのイベントなどでボランティアでケアを提供することもでき合わせて良い経験でした。
*在学中に関わったスポーツ
ラグビー・バスケットボール・アイスホッケー・クロスカントリー・バレーボール・レスリング・野球・ラクロス・陸上・ゴルフなど
『資格だけ取って帰国するのはもったいない』
クラスメイト達の助けもあり、DCプログラムを無事に卒業し、5つのパートからなる国家試験(パート1~4と理学療法)にも合格し、開業に必要な州ごとのライセンスも取得することができました。
卒業直後は修士のプログラムが少し残っており、大学院生助手(Graduate assistant)として働きつつ上記のようなスポーツ選手のケアに携わりました。
修士取得後は運よくバージニア州での仕事が見つかり、アソシエイトカイロプラクターとして働くことになります。実は仕事探しにはとても苦労し、途中で日本に帰ることも考えたりしていました。
実際のオフィスで働きながらさまざまことを学びつつ、新しいセミナーなどにも参加し続け、大きなスポーツイベントのボランティアも経験することができました。
このイベントはWorld Police & Fire Gamesといい、規模だけで言うとオリンピックにも匹敵するような大きなもので、ここでケアを提供できたことは自分の大きな自信と財産になりました。
そして2015年日本へと帰国します。
『身体ケアの選択肢の1つとしてカイロプラクティックをもっとみんなに知ってほしい!』
2015年に帰国してからは都内のオフィスで働きつつ、渡米前からイメージしていた立川での開院を目指して準備しました。
自然の多い、多摩地区でスポーツや運動を楽しむ方は多いと思います。
都心だけでなく東京の西側も盛り上げていきたい、楽しく運動を続けていきたい・ケガをした時にカイロプラクティックをあなたの選択肢の1つとして知ってほしい、薬や安静以外にもできることがあることを知ってほしいという思いは変わらず、ここ立川で開院しました。
『常に情報のアップデートをこころがけ、多くの方に自身の身体に興味をもってもらう』
アメリカでのカイロプラクティックの資格は取ったら終わりではなく、定期的に更新しないといけません。更新するには一定の単位(授業やセミナー、卒後教育などで取得するもの)を取得し続けなければなりません。
医療の発達が目覚ましいように、人間のからだに関する情報はどんどんと新しくなり進歩の過程にあります。そういった情報を常に取り入れながら、あなたにその時点でベストなものを提供できるように、日々の勉強や定期的な研修等で知識と技術を研鑽しています。
2017年の12月に産まれたばかりの息子の子育てにも奮闘中です。これが何よりも勉強になっています。
2019年、どんどん重くなる息子のおかげで、改めて自分のからだのケアの必要性を感じております。
2020年、我が家に双子の女の子が加わり、ますます父親としてしっかりしないとと思わされる毎日です。